「厳島合戦」

元就が人生最大の岐路を迎えたのは、1555年(弘治元年)の「厳島合戦」。この4年前、山口の有力大名・大内義隆が重臣の陶晴賢に討たれ、中国地方の勢力関係は大きな変化を迎えました。元就は、厳島を陶晴賢との決戦の場と定め戦いにのぞみ、陶氏2万の大軍に対し毛利軍はわずか2,500で奇襲作成を展開し大勝利をおさめました。この戦いをきっかけに元就は中国地方の有力大名へとなっていきました。

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