錦帯橋の関連年表


1547年 (天文16) 田汝成が西湖遊覧志を出版する(明の嘉靖26)
1589年 (天正17) 杭州の西湖で錦帯橋を命名する(明の万暦17)
1596年 (慶長 1 ) 戴笠のちの僧独立が杭州に生まれる(明の万暦24)
1600年 (慶長 5 ) 関ヶ原の戦いで家康方の東軍大勝吉川広家、岩国3万石(のち6万石)を受領
1603年 (慶長 8 ) 徳川家康が将軍となる(江戸幕府が開かれる)
1608年 (慶長13) 岩国城竣工(1615年岩国城破却)
1614年 (慶長19) 吉川広正が岩国藩の2代藩主となる
1620年 (元和 6 ) 戴笠のちの僧独立が25歳で西湖に隠遁(明の泰昌1)
1623年 (元和 9 ) 徳川家光が3代将軍となる
1624年 (寛永 1 ) 警世通言の西湖図に錦帯橋が記載される(明の天啓4)
1639年 (寛永16) 横山の渡橋守番人の規則が定められる
1651年 (慶安 4 ) 徳川家綱が4代将軍となる
1653年 (承応 2 ) 戴笠のちの僧独立が長崎に亡命(清の順治10)
1657年 (明暦 3 ) 吉川広正が横山・錦見間に木橋を架ける(現在の錦帯橋と同じ場所)
1658年 (万治 1 ) 吉川広嘉が江戸から木曽路を経て帰国(甲州の猿橋を通る)
1659年 (万治 2 ) 1657年完成の橋が流失(広嘉は流れない橋をつくる決心をした)
1661年 (寛文 1 ) 児玉九郎右衛門が諸国見聞(甲州の猿橋を見学)
1663年 (寛文 3 ) 吉川広嘉が岩国藩の3代藩主となる
1664年 (寛文 4 ) 僧独立が岩国へ初めて来る(藩主の治療のため本年より4回来 岩)
1672年 (寛文12) 児玉九郎右衛門が長崎に行く
1673年 (延宝 1 ) 錦帯橋を創建(6月28日鍬初め式〜10月3日渡り鍬初め式)、このころ錦川鵜飼あり
1674年 (延宝 2 ) 錦帯橋の流失(5月28日) 、錦帯橋の再建(10月3日渡り鍬初め式)これ以後、木造部の架け替え並びに板敷替は各橋合わせると50回余りに及ぶ
1677年 (延宝 5 )  河床敷石を強化、剥離の防止
1678年 (延宝 6 ) 橋体の補強として鞍木,肋木を取付ける
1679年 (延宝 7 ) 吉川広嘉が死去(享年59歳)
1706年 (宝永 3 ) 宇都宮遯庵が「極楽寺亭子記」に錦帯橋の名を初めてしるす
1738年 (元文 3 ) シロヘビが「岩邑年代記」に初めて記録される
1804年 (文化 1 ) 太田蜀山人が来岩、「錦帯橋に題す」という7言絶句をつくる
1834年 (天保 5 ) 葛飾北斎が「諸国名橋奇覧」に錦帯橋を描く
1868年 (明治 1 ) 吉川経幹が朝廷より諸侯に列せられる
1922年 (大正11) 錦帯橋が史蹟名勝に指定される
1924年 (大正13) 錦帯橋創建250年祭
1945年 (昭和20) 太平洋戦争終わる
1950年 (昭和25) キジヤ台風による錦帯橋の流失 (9月14日)
日本観光地百選(毎日新聞社主催)で錦帯橋が首位当選(10月10日)
1953年 (昭和28) 錦帯橋の再建郵政省が安藤広重の浮世絵による記念切手(10円と24円)を発行
1962年 (昭和37) 岩国城再建
1973年 (昭和48) 錦帯橋創建300年記念行事を実施
1991年 (平成 3 ) 岩国市制50周年記念事業にて、高照寺山にケヤキを植林し、架け替えに備える
1994年 (平成 6 ) リカルチュアディスカッション「国際化時代における錦帯橋」 を岩国西ロータリークラブが開催
1994年 (平成 6 ) リカルチュアブック「錦帯橋再発見」出版



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