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手すり白書


■はじめに
 高齢化社会の到来はもはや他人ごとではなくなってきた。日本では団塊の世代が75歳を迎えるこれから二十数年後がピークで、その後約25年間は、日本国中で、75歳以上の方々が約1900万人と言う時代を迎える。ざっと5〜6人に1人は75歳以上の超高齢化社会である。よく65歳以上の高齢者と言う表現が使われるが、私は75歳以上の方々をもって高齢者と表現する方がよく合っているように思う。最も、今日では75歳以上の方でも、まさに超お元気な方々も沢山おられる。

■いつまでも元気がいい
 さて、残された人生を誰もが豊に自由に過ごしたいという願望を持っている。しかし、実際には、加齢と共に訪れる様々な変化は、容赦なく、私たちの体力や健康状態に変化をもたらす。油断していると、加齢と共に加速度的に、進展してくる。気が付いたときには手遅れとならないようにしたい。いつまでも元気がいいに決まっている。

■一人で出来る?
 要介護度の認定では様々な観点から、その要介護の度合いが区分されている。私はもっと簡単にとらえている。重要なことは、自分がしたいと思うことが、一人で、できるかどうかである。 その程度がどのようなものであれ、一人でベットから起きあがれるかどうか、自分一人で歩いて目的の場所へゆけるかどうか、自分一人でトイレを使うことができるかどうか、自分一人で入浴できるかどうか、自分一人で食事ができるかどうか等々ということが満足されればまず問題ない。

■福祉機器としての手すり
 このとき、道具を使えば、一人でもできると言うことであれば。これも、一人で出来ることに違いはない。一人で出来ること、これが自立である。 例えば、それが手すり1本でもあれば可能であるならば、その手すりは立派な自立を実現する福祉機器である。ハイテクに頼る福祉機器が盛んに研究開発されているが、手すりの様な、基本的な分野にも、もっと注目がなされてもいいと思う。

■自立
 ここで自立と言う言葉を使ったが、その根本をさらに追求してみると、自立のために『ハッキリと自分の要求が相手に伝えられること』がまず重要と思う。本来介護はこの自立が阻害された方々の為のものであると信じている。従ってこの定義からすると、痴呆や脳の機能低下によって、ハッキリと自分の要求が相手に伝えられない人々の介護がもっと重視されるべきである。

■手すり生活
 手すり生活と言う聞き慣れない言葉を使ったが、手すりがなければ不自由な人々の生活と定義しておく。私は全ての人にとって、手すり生活のチャンスがあると思う。健康なときの人間の各機能をそれぞれ個人差はあるが、その個人にとって100とすれば、当然死亡によって、それらは0になる。ある時期から加齢は着実にその100あるものを漸次低下させる。 事故や突発的な現象で手すり生活ができない人もおられるが、幸運にも90歳100歳と齢を重ねてくると、どうしても手すりが必要となる。足腰が弱っても、条件が許せば、いろいろな行動をしたいのは世の常である。工夫された手すりは確実にその要求の何割かを満たしてくれる便利な道具である。

■道具の進化
 昔の洗濯板を覚えておられるだろうか、まな板より少し大きくて、少し薄い木材の板の表面を、ノコギリ状に加工したものである。ところで、この洗濯板が全く見られなくなったのは、電気洗濯機の出現によるものであることは当然である。 この電気洗濯機もずいぶんと進化した。当初は洗うだけの機械であったが、その後、ローラー式の絞り装置を併設した洗濯機が出現した。次は、遠心力による脱水装置の出現である。今日では乾燥まで完全に自動化が実現している。 これを道具の進化と呼ぼう。

■心
 道具や機械を使うと、心がこもらないのか?と言う疑問を投げかける人がいる。福祉や介護には特に多くの人手を掛けて行う方が、心がこもっていいのだろうか。洗濯板を使って洗濯をしているときの人の方が、現在より、ずっと心が優しかったのであろうか。皆様方はいかがお考えだろうか。道具を進化させ、心のこもった道具を生み出すことこそ人間の重要な仕事ではないかと思えて仕方がない。心のこもった手すりと言う概念で手すりが注目を浴びた時代が今までになかったように思える。 

■福祉文化と文明
 少々大げさな見出しを付けたが、この国における福祉文化は始まったばかりであり、まだまだ黎明期と言っても過言ではない。与えられたものが真実と思いこみ、何ら疑いを持たないのが現実である。多くの人々は、様々な疑問点を追求しないまま従来通りという免罪符で通り過ぎている。現実には問題点が認識されているのに、社会全体の仕組みが、この福祉文化進展の機運にない。ましてや文化を支える、福祉文明の進展もしかりである。

■L型手すりの不思議
 そろそろ、本題に入ろう。今日、ほとんどの高齢者、障害者対応のトイレには、L型手すり(写真−1)が取り付けられている。どの福祉の街づくりのハンドブックを見ても一様にこのようになっている。 個人住宅でも、公共建築でもほとんど同じ考え方が普及している。私はこの事実一つを取ってみても福祉文化福祉文明の進展の遅れを指摘せざるおえない。身長差、体力差、体型差、加齢に伴う体力の変化等々のどれを考えても、1つの条件で設置されたL型手すり1本では対応しきれないことは明らかである。それにも関わらずL型手すりは高齢者、障害者対応のトイレの万能選手として定義づけられている。全く不思議なことである。

■『テスリックス』
 結果は、コロンブスの卵であったかもしれない。格子状にした手すり(写真−2)を開発した。ネーミングも手すりとマトリックスのミックスである。どこでも掴める手すりである。壁中を手すりにも出来る。しかも美しくアレンジできる。認知されればL型手すりに取って代わることは確実と思う。 長年の異業種交流と協同組合方式の研究開発であった。今日弊社が販売の責任を受けて展開している。最近、介護保険による住宅改造でも盛んにお声を掛けていただけるようになってきた。また、新築された老人ホームの全館にこれを付けていただいた所もある。岩国に出来る最新の老人ホームにも沢山設置していただけることになった。きらら博でも活躍しているこの手すりに福祉文明開化の夢をかけている。福祉文化の進展に貢献できればと念じている。

■おわりに
 『たかが手すり、されど手すり』とお伝えしたい。人体の動きを司る脳の多くの部分は手のためにあると言われている。その手の握る手すりのことを私たちはもっともっと知る必要がある。手に感謝の気持ちを込めて・・・。 気が付いたときには自分の体が満足に動かせないと言うことになりかねない。健康な今のうちに我が家の『手すり白書』でもしたためて見ませんか。

     

 (写真−1)L型手すり
           自由度が少ない

 

(写真−2)『テスリックス』
          自由度が多い








松屋産業株式会社
代表取締役 松塚展門


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